景気が改革でよくなるまでに、一五年間かかったということの裏返しなのです。 経済のビッグバンでは、つまりバンという爆発が起きて、実際に一般の人から見ても、あれは素晴らしいことだったのだと分かるまで一○年から一五年かかるということです。
一日、二日で起きることではないのです。 考えてみれば当然で、ビッグバンというのはマクロ経済政策ではありません。
マクロ経済政策というのは、例えば整備新幹線をつくりましょうとか、農道でもつくって景気をよくしましょうというものです。 一年、二年ですぐその効果は出てくるのですが、ビッグバンは構造改革です。
我々が判断の基準としている経済の枠組みを、根本から変えようということなのです。 そうすると、我々も全部世の中の考え方を変えなくてはなりません。
考えを変えるのは比較的早い時間でできたとしても、それに行動がともない、最後に成果が出てくるまでに何年もかかります。 一○年くらいはかかるでしょう。
H首相が、こんなことでは日本経済の活性化などありえないと悟り、「じゃあ、いつ見ても活気のある香港並みの税率にしよう」と決めたとします。 香港の最高税率は一五パーセント強ですが、日本の最高税率が一五パーセントとなったら、「私もこんな評論家をやっているのではなくて、それならビジネスの世界で一旗揚げてみようか。

もう一回アメリカのビジネススクールへ行って勉強しようか」と、かなりの人たちが動き出すでしょう。 そうすると彼らは、今の会社を辞めて、ビジネススクールに行って、もう一回最先端の考え方を勉強します。
それからもう一回仕事を始めます。 これには、最低何年かかかります。
新しい分野に行って一旗を揚げるといっても、揚がるまでには時間がかかるのです。 長い間準備をやって、やっとそれに花が咲く。
これがビッグバンの最終的な成果で、これにはかなりの時間がかかるのです。 その間というのは大変で、下手すると不況になるかもしれないし、混乱もあるだろうし、多くの人が失業の憂き目にあうかもしれません。
アメリカも八○年代からずっと大変なリストラをやって、多くの人たちには大変な苦痛をもたらしました。 なんとか乗り越えて、今のアメリカがあり、今のイギリスがビッグバンといったら何かバーンと花火みたいに爆発して、次の日からはまったく別の世界が始まって皆ハッピーになるというのは、単なる甘い夢です。
ハッピーエンディングではなく、最初のステップなのです。 今の日本では、その最初のステップでさえちゃんと正しく踏み始めているかどうか、というところでしょう。
税制がついていかない、年金制度の改革がないなど、いろいろな問題が残っているからです。 しかも税制などすべてがうまくいっても、すぐに成果が出てくるものではないのです。
本当の成果が出てくるには、かなりの時間がかかります。 その間、かなり大変な時期が何年かは続くということを覚悟で、ビッグバンに取り組まなくてはならないのです。
るのです。 今、日本の経済や社会には方向転換が迫られていますが、そのための宮と民の役割分担についてお話ししたいと思います。
これには、一般論としてのとらえ方と日本固有の問題としてのとらえ方という、二つの切り口があります。 一般論では、官がどうしても手をつけなければいけない部分として、金融で言えばモラル・ハザードが発生するような場合、公害のような社会問題が発生する場合などがあります。

こういう場合には、どの国でも、必ず政府がある程度関与しなければなりません。 しし、国によって、国民がその時点でどう思ったかによって、ずいぶん振れがあると例えば、フランスでは一九八○年代の初頭に社会主義政権が誕生しました。
そのときには、政府は、経済にもっと介入すべきであるという方向になり、銀行から自動車メーカーで、どんどん国営化しようという動きが出てきました。 もしも当時、フランスで官民活動の分担を決める会合を開いたら、今とはまったく違う結論になったはずです。
そういう意味では、官民の役割分担について多くの部分は、国民が決めるものなのではないかという気がします。 もちろん日本でもそうです。
同じ国でもその国の経済状態や発展段階によって、政府の役割はかなり変わってくるはずです。 例えば、日本の戦後のように、極度に外貨が不足して貿易赤字に悩まされていたときに、外貨の割り当てや輸入制限を行なうのは、どこの国でも同じです。
アメリカでも、ドルが急落してアメリカの輸入が多すぎると言われたときには、n大統領が全部の輸入に一○パーセントの課徴金をかける政策をとりました。 ヨ−ロッパの国々でも、特にフランスにそういう傾向がありますが、ある日突然、輸入にいろいろな制限を設けることは、至極当然と受け止められています。

貿易赤字が大きく外貨不足に悩んでいるような状況に置かれた国々が、制限を設けるのは、多くの諸外国からも認められ、ある程度はしかたがないと考えられているからです。 日本は、一九五○年代、六○年代をそうやって過ごしたのですが、七○年代に入ると、産業も国際競争力を持ち、貿易収支も大きく黒字に転じていました。
ところが日本の問題は、そんな豊かな状況になり、海外からは市場開放、規制緩和が叫ばれているにもかかわらず、ごく最近の九○年代まで、五○年代、六○年代の制度がそのまま残ってしまったということです。 そのしわ寄せが、円高やそこからくる産業の空洞化など、いろいろなところに出てきてしまったのです。
このこと一つを見ても、政府の役割は、ある経済状況のときには、ある程度の干渉が期待されますが、状況が変わったときには、それに対応して変わっていかなければならないことが分かると思います。 ところがどうも日本では、優先順位を変えなくてはならないときに、なかなか変えられなくなっているのです。
一度あるものが定着すると、非常に変えにくいということが、日本固有の問題の一つとしてあると思います。 したがって、本当に必要なときに変えられるのかということも、官と民の役割分担の中で非常に重要な要素ではないかと思います。
最初から決めてしまうのではなくて、必要なときに変えられるかという点です。 この点については、最近、日本でもアカウンタビリティ(説明責任)ということが重要視されてきております。
例えば、フランスで社会主義政権が誕生したときには、企業から銀行まで国中の産業を国営化しようという動きが出てきました。 国民の意志その中でも日本の官僚制度とマスコミは、極めてアカウンタビリティの少ない二つのグループだと思います。
マスコミについては、一時TBSの問題でアカウンタビリティが問われていましたが、日本の官僚システムの場合は、ほとんど問われることがありませんから、国営化をやるのは当然だということになりました。 実際始めるとなかなかうまくいかないことが、いっぱい出てきたのです。
そこで、そのまま続けたら大失敗になると国民も政治家も気づくと、方向転換が行なわれます。 方向転換しないと、次の選挙で落選してしまいます。
こうして現実に対するアカウンタビリティがあるからこそ、国民も気づき、政府も気づいたところで方向転換ができるのです。 これに比べ、日本におけるアカウンタビリティについては、今一つはっきりしません。


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